「記録をつけて反省すれば、トレードは上達する。」
そんな言葉を、FXの本やサイトで何度も目にしてきた。
だから自分も、通貨ペアや根拠、損益、チャート画像をExcelに記録し、
毎回のトレードを真剣に振り返っていた。
これを続けていけば、少しずつ勝てるようになるはずだ――
そう信じて、記録を積み重ねていった。
けれど、現実はそう簡単ではなかった。
記録しても、反省しても、なぜか同じ失敗を繰り返してしまう。
「何がいけないんだろう…?」
そう思いながら書き続けた記録の中に、
少しずつ“ある共通点”が見え始めていた。
なぜ僕はトレード記録をつけ始めたのか?
きっかけは「みんなやっているから」という素直な動機
トレード記録をつけ始めたのは、ある意味“当然の流れ”だった。
書籍やサイト、動画など、どんな媒体を見ても必ずと言っていいほど出てくるのが、
「トレードを記録して反省しましょう」というアドバイス。
勝っている人たちの多くが「記録が成長につながる」と語っていたこともあり、
自分もそれに倣うように、特に疑問も持たずに記録を取り始めた。
「これが正しいやり方なんだろう」と信じていた。
とにかく勝てるようになりたくて、その一心だった。
Excel中心に、毎トレードを細かく記録していた
記録は主にExcelで行っていた。
通貨ペア、エントリー日時、使用した時間軸(5分足、15分足、1時間足、4時間足、日足)、
エントリーの根拠、損益、チャート画像、そしてそのトレードに対する反省――
そうした情報を毎回まとめて記録していった。
トレード中に撮ったチャート画像は、キャプチャして整理し、
後からその時の判断と照らし合わせるようにしていた。
また、時期によってはノートにも記録していたことがある。
印刷したチャートを切り抜いて貼り、隣にエントリー根拠や反省を手書きで書き込んでいた。
当時は、とにかく「何かを変えなければ」という思いで手を動かしていた。
記録の目的は「感情整理」ではなく「手法の点検」
記録の目的は、感情の整理ではなかった。
自分の負けている原因が、手法のどこにあるのかを見極めるためだった。
- 根拠に一貫性があるか?
- タイミングに問題はなかったか?
- 損切りや利確の設定は適切だったか?
- ルールは本当に守られていたのか?
こうした点をひとつずつ丁寧に点検し、
自分の手法を見直し、改善していこうと考えていた。
信じていたのは「積み重ねが自分を変えてくれる」という希望
記録を積み重ねていけば、いずれ「これが自分にとっての正解だ」と思えるパターンが見つかるはず。
その希望を信じて、毎回のトレードを記録し続けていた。
自分を変えたかった。
勝てない状況をどうにかしたかった。
そのために、自分にできることを一つひとつやっていこうと思っていた。
記録しても繰り返されたのは「ルールを守れなかった」という反省

何度振り返っても、たどり着くのは同じ反省だった
記録を取り始めてから、毎回のトレードをきちんと振り返るようになった。
エントリーの根拠は妥当だったか、相場環境はどうだったか、損切りや利確は適切だったか――
冷静に見直す習慣は、少しずつ身についていた。
けれど、記録を続けるうちに、ひとつの“共通点”がはっきりしてくる。
それは、負けたトレードの多くが、「ルールを守れていなかった」という事実に行き着くということだった。
守れなかったルールが、結果として敗因になっていた
- 条件を満たしていないのに、感覚でエントリーしてしまう
- エントリーのタイミングが早すぎる
- 損切りラインをずらしてしまう
- チャートを見ながら判断を変えてしまう
ルール違反の形はさまざまだったが、共通していたのは、
「決めたことを実行できていなかった」という点だった。
「次こそ守ろう」と決意しても、また守れなかった
負けるたびに、「今回はルールを守れなかった」と記録に書く。
そのたびに強く誓う――「次は絶対に守ろう」と。
でも、いざ相場を前にすると、気持ちが焦ってルールが飛んでしまう。
冷静に考えればわかる場面でも、感情の揺れに飲まれてしまう。
そしてまた記録に同じ言葉を書く。
「今回もルールを守れなかった」
自己嫌悪と悔しさが積み重なっていった
「またやってしまった」
「なんで同じことを何度も繰り返すんだ」
自分自身に対する怒り、情けなさ、悲しさ――
そうした感情がどんどん強くなっていった。
記録をつけること自体が、
“自分の弱さを直視する時間”になっていた。
それでもやめなかったのは、「変わりたい」という気持ちが残っていたからだった。
理屈ではわかっているのに、感情が行動を支配していた
「次は絶対守る」と誓ったはずなのに…
反省を重ねる中で、「次こそはルールを守ろう」と何度も誓ってきた。
記録もしている。分析もしている。
それでも、いざ相場を前にすると、また同じようにルールを破ってしまう。
チャートの形が少し良く見えるだけで飛びついたり、
損切りを目前にするとラインをずらしたくなったり、
予定よりも早く利確してしまったり――
どれも「やらない」と決めていたはずのことだった。
冷静なはずの自分が、相場の前では変わってしまう
記録の中では冷静に振り返れるのに、
リアルタイムのトレードになると、まるで別人のようだった。
「またやってしまった」
「わかっていたのに、止められなかった」



感情の波に飲み込まれて、判断がブレていく。
記録に残るのは、反省ではなく、自分への失望だった。
自分の行動が、自分でコントロールできないことが苦しかった
「頭では理解しているのに、行動が変わらない」
その事実が、何よりも苦しかった。
記録すれば勝てるようになる。
そう信じてやってきたのに、変わったのは情報の量だけで、
自分自身の行動は何ひとつ変わっていなかった。
記録は、自分の“未熟さ”を浮き彫りにしていく作業になっていた。
だからこそ「メンタルを鍛えるべきなのかもしれない」と思い始めた
最初は、自分がメンタルに問題があるとは思っていなかった。
でも、繰り返される失敗と、コントロールできない自分を記録するうちに、
だんだんと思考が「メンタル」に向かっていった。
本や動画でよく言われていた「メンタルを鍛えましょう」という言葉――
最初はどこか他人事のように感じていたけれど、
いつの間にか、自分にも必要なことのように思えてきた。
記録は無駄ではなかった。でも、それだけでは変われなかった
記録をすれば勝てるようになる。
反省を積み重ねれば、自分の弱点が見えてくる。
そう信じて、毎回のトレードを丁寧に記録し続けていた。
けれど、そこから「行動を変える」ことはできなかった。
わかっているのに、また同じことを繰り返してしまう――
そんな自分を、記録するたびに責めていた。
何度も繰り返す中で、思考は自然と「メンタル」に向かっていった。
ルールを守れないなら、心を鍛えるしかないのかもしれない。
そう思うようになったのは、ごく自然な流れだった。
次回:メンタルを鍛えれば勝てるのか? 感情との向き合いが始まった
記録しても、反省しても、変われなかった――
そんな中で、「どうすれば自分をコントロールできるのか?」という問いが残った。
次回は、自分の感情と向き合い始めた日々について書いていく。
ルールを守るために、自分の心とどう向き合えばよかったのか。
トレード以前の“内面の課題”と、真剣に向き合い始めた当時のことを振り返る。
▼【次回の記事はこちら】
FXで勝てないのはメンタルのせい?──僕がルールを守れなかった本当の理由



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