FXをやめた僕があなたに伝えたい──“たったひとつの問い”

「あと少し頑張れば、勝てるはず」
そう信じて続けてきた日々の中で、
気づけば、たくさんの時間が過ぎていた。

勝ちたい。変わりたい。
その一心で努力を重ねてきたはずなのに、
ふと立ち止まると、何も積み上がっていない現実に気づいてしまう。

僕がFXをやめると決めたのは、そんなときだった。

すべてやり切ったと思えた一方で、
最後まで手をつけられなかった“ひとつのこと”が、今も心に残っている。

この最終話では、FXを終わらせた理由とともに、
あなたにだけは、大切にしてほしい“ある視点”について書いていきたい。


※前回のお話(商材に最後の望みをかけた理由)は、こちらから読めます。
👉 FX商材で最後の勝負──それでも勝てなかった僕が“やめること”を考えた日

目次

なぜ僕はFXをやめると決めたのか

朝焼けの中、静かに立ち尽くす男性のシルエット。決断の瞬間を表す後ろ姿

FXをやめようと決めたのは、何か一つのきっかけがあったわけじゃない。
もうこれ以上、自分にできることはないと思った。

最初は、お金の不安から始めた。
普通に働くだけでは、将来に備えられる気がしなかった。
「小額からでも増やせる」「自由に稼げる」──そんな言葉を信じて、期待を抱いて始めた。

でも、現実はそんなに甘くなかった。
手法を変えても勝てず、感情に振り回され、同じような失敗を何度も繰り返した。
そこから抜け出すために記録をつけ、メンタルと向き合い、
「そもそも手法を信じきれていない」と気づいて過去検証を始めた。

検証にも限界を感じて、環境を整え、ルールを仕組み化し、
最後には商材を買って、他人の手法にかけてみた。

でも、どこまでやっても勝てなかった。

ここまでやって勝てないなら、もう自分には向いていないんじゃないかと。
これ以上続けても、また同じループに戻るだけなんじゃないかと。

だから、やめると決めた。
でも、自分でやり切ったと思えるところまできたからこそ、終わらせることができた。

──ただ、唯一「やり残した」と感じていることがあるとすれば、
最初から最後まで、ずっと一人でやってきたこと。
もし近くに誰かいたら、結果は変わっていたのかもしれない。

「問題を相談できる人」がいないという致命的な孤独

暗がりの中、ベンチにうつむいて座る一人の男性。孤独と葛藤を表現する印象的な構図

話せないまま続けているFX初心者は、きっとあなた一人じゃない

FXを始めるとき、誰かに相談したり話したりせずに、
ひっそりと始める人も少なくないのではないかと思う。

「危ない」
「ギャンブル」
「そんなうまい話あるわけがない」

そう言われるリスクを考えれば、最初から周囲にオープンにするのはためらわれる。
ましてや、家族の理解を得るのは簡単じゃない。
FXに対する世間のイメージは、今でもネガティブなものが根強く残っている。

SNSや掲示板などでも、「家族に言えないままFXを続けている」という声を見かける。
「勝てるようになってから話そうと思っていた」
「反対されるのが怖くて、ずっと一人でやっていた」
そんな投稿や記事に、よく出会った記憶がある。

だからこそ、誰にも相談できないまま苦しんでいる人も、一定数いるのではないかと思う。

最初はこっそり始めて、うまくいけば話すつもりだった。
でも現実はそう簡単にはいかず、気づけば何年も、一人で悩みを抱え込んでいる。
そんな構図に陥っている人は、少なくないのではないだろうか。

「孤独」が問題じゃなく、「解決できない」のが問題だった(修正版)

一人でやっていること自体は、僕にとって特に苦ではなかった。
むしろ、誰にも干渉されず自分のペースで進められることが気楽だったし、
人と関わるよりも、自分で考えて進める方が性に合っているとも思っていた。

でも、勝てない状況が続くようになると、話は変わってきた。

毎回負けるたびに、「なぜ負けたのか」を自分で分析しようとする。
けれど、その原因が本当に合っているのか、自分では分からない。

手法が悪いのか?
ルールを守れていないのか?
エントリーが甘いのか、相場環境を読み違えているのか?

何が正しくて、何が間違っているのか。
そもそも「何が問題なのか」すら、分からなくなっていった。
そして結局、最後に行き着く先は

「メンタルのが弱いから」
「メンタルが強ければルールを守れた」

これの無限ループだった。

これが一人でやっていることの一番の弊害だった。

もし誰かにトレードを見せられて、
「たぶんここじゃない?」と一言アドバイスをもらえていたら──
自分では気づけなかったポイントに、もっと早くたどり着けたかもしれない。

孤独そのものがつらかったわけじゃない。
でも、本当の問題に気づけないまま、同じ場所をぐるぐる回ることがつかった。

考え続けているのに出口が見えない。
何を改善すればいいのかが分からない。
その状態が、精神的にもじわじわと効いてくる。

今になって思えば、
一人でやっていたからこそ、問題が見えてこなかったんだと思う。

──もし、メンターや師匠、あるいは何らかのコミュニティのような場に身を置けていたら、
結果は少し違っていたのかもしれない。
それが、唯一といってもいい“心残り”だ。

それでも“人と関われなかった”理由

今思えば、人とつながることで状況が変わった可能性はあった。
でも、僕は最後までその選択ができなかった。

もともと人付き合いが得意ではなく、
誰かに相談するという行動自体に、強い抵抗があった。
SNSやコミュニティに飛び込む勇気も出なかったし、
「一人でやれるならそのほうがいい」と思い込んでいた部分もあった。

だから、やれることを全部やったと言いながら、
「人と関わる」という道だけは、最後まで選べなかった。

それが、自分の限界だったのかもしれない。

失ったのは“時間”だった──僕が一番後悔していること

「線路の上に重なる人物の後ろ姿。過ぎ去った時間と、自分の進んできた道への後悔を象徴するイメージ」

やめたあと、全てが押し寄せてきた

FXをやっている最中は、とにかく必死だった。
「この時間も、いずれ報われるはずだ」と信じていたし、
負けが続いても、「あと3か月、あと半年」と自分に言い聞かせていた。

だから、時間を無駄にしているなんて、考えたこともなかった。
むしろ、「成功さえすれば、過去の努力は全部意味を持つ」とさえ思っていた。

でも──やめた瞬間、その感覚が一気に崩れた。

チャートを開かなくなった日々の中で、今までの6年間が、静かにのしかかってきた。
やってきたことを振り返っても、何かが残っているわけじゃない。
スキルも、成果も、人脈も、何もない。

「これが、現実か…」と思った。

周りの友人たちは、家庭を持ったり、仕事でキャリアを積み上げたりしていた。
その一方で、自分はというと──始めた頃とほとんど変わらない生活を送っていた。
むしろ、お金も気力も減って、マイナスに近づいていた。

現実は厳しい。

その事実を、ようやく直視できたのは、やめたあとだった。

最初の数年で見切っていれば、まだ間に合ったかもしれない

ぼんやりとした背景の中に佇む砂時計。過ぎ去った時間と後悔を暗示するイメージ

特別なきっかけがあったわけじゃない。
でも、今振り返って思うのは、最初の数年で見切りをつけていればよかったということだ。

もし2年目くらいでやめていれば、年齢的にも転職がしやすかった。
別の道に切り替えるのが怖くなかったし、
何かを積み上げるための時間も、まだ十分に残っていた。

もちろん、そのときは「いける気がしていた」し、
自分だけは成功できると本気で思っていた。
だから、やめるという選択肢はまったく考えていなかった。

でも、結果的にあのときの判断が、
これからの人生を狭めてしまったんじゃないかという後悔が、今でも心に残っている。

年齢を重ねるごとに、選択肢は減っていく。
あの時期を無為に過ごしたことの代償は、今になってじわじわと効いている。

だからこそ、あえて今言いたい。
「迷っているなら、一度立ち止まって、自分に問い直してみてほしい」
そのタイミングを逃すと、本当に手遅れになる

FXは勝てばすべて、負ければ何も残らない

FXをやっていた時間が、すべて無意味だったとは言いたくない。
記録をつけたり、検証をしたり、メンタルと向き合ったり──
努力はしていたし、自分なりに成長した面もあったとは思う。

でも、結局は「勝てたかどうか」──結果がすべての世界だった。

勝っていれば、あの時間には価値が生まれていたと思う。
でも、負けた今となっては、何も残っていない。
スキルも、経験も、お金も、何一つ役に立たない。
むしろ、時間も資金も削られて、精神的にもボロボロになった。

そういう意味では、FXは本当に0か100の世界なんだと思う。
うまくいけば一気に抜け出せるけど、
うまくいかなければ、何も手に入らないどころか、マイナスになる。

現実として、僕は負けた。
そして、あの6年間に何を残せたかといえば──
「もう二度と戻らない時間」と、「ただ苦労した」だけだった。

才能がないと感じたら、早く見切るべきだった

FXに限らず、どんな世界にも「才能」があるのだと思う。
でも、それはやってみなければ分からない。
だから最初に挑戦すること自体は、悪いことじゃないと思っている。

僕も最初はそうだった。
何も知らないまま飛び込んで、少し勝てたことで「いけるかもしれない」と思った。
それから6年。努力も工夫もした。手法もメンタルも見直したし、記録も検証もした。
それでも勝てなかった。

今になって思うのは──
「才能がなかった」と気づいてから、やめるまでが長すぎた。

実力を冷静に見つめ直して、方向転換できていれば、
違う道で人生を積み上げられたかもしれない。
でも、「もう少しで何とかなる」と思い続けてしまった。

その結果、貴重な時間を無駄にし、人生の再起すら難しい状態になってしまった。

挑戦することには意味がある。
でも、見切りをつける判断力も、同じくらい重要だ。

だから僕は、こう伝えたい。
「やれば勝てる」と思い続けているなら、
“本当にそうか?”と、一度立ち止まって考えてみてほしい。

自分の中で「もう違うかもしれない」と思った瞬間があるなら、
その感覚を、どうか無視しないでほしい。

これは、僕の終わらせ方だった

海に沈む夕日を前に立つ男性のシルエット。終わりと希望を見つめるような情景

あなたが次に進むために必要なのは「決めること」

人は、「あと少しだけ」と思いながら、簡単に何年も失う。

僕はそうだった。
やればできるはず。まだ自分には可能性がある。
そう信じ続けて、6年が過ぎた。

でも、最後に残ったのは──
空っぽの時間と、何も積み上がらなかったという現実だけだった。

挑戦することは大切だ。
でも、一番怖いのは、“判断を先延ばしにし続けること”だ。

やめる勇気がなかった。
見切る覚悟がなかった。
だから、何も得られず、再起する力すら失ってしまった。

「これは、いつまで続けるのか?」
「どこまでいったら、終わらせるのか?」

その問いをあいまいにしたまま進むのは、
“努力しているフリをして、自分をごまかしているだけ”かもしれない。

“決めずに続ける”という選択は、一番人生を壊すやり方だ。

あなたはいつ決めますか?」

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